「原爆先生の特別授業」の趣旨

原爆先生の特別授業(7000℃の少年)
 

特定非営利活動法人原爆先生(以下「私共」という)は、ヒロシマの被爆物語と原子爆弾の解説を児童や生徒(以下「受講者」という)に話す活動として、2008年から「原爆先生の特別授業」(以下「特別授業」という)を実施しています。特別授業は、学校が外部から講師を招聘して行なう正規授業で、2017年3月までにのべ8百校で実施し、受講者の総数は7万人となっています。2016年からは中・高校も対象に実施しています。

特別授業は2校時を使用し、小学校は前半45分、5分の休憩をはさみ後半45分の90分という長時間(中・高校は110分)です。特別授業を受講した受講者の感想は単一的なものではなく、受講者個々が自分なりに考えた結果は、単に原爆や平和だけに留まらず、いじめや暴力、医療や科学への興味など多岐にわたります。

 本活動は、特別授業を通じて受講者の考えを育てる「考育」を実現し、21世紀がこころの高度成長期となることを目指します。

 








特別授業の内容

 

本活動で話す内容は以下の2点に大別されます。

1.ヒロシマの被爆物語(45分) *中高校は50分
 当時17歳であった少年兵(主人公)の手記を元に、主人公がヒロシマの爆心地に人類として初めて足を踏み入れ、そこで遭遇した様々な出来事を物語として話します。受講者は主人公の目線に立って原爆の恐怖と惨状を知ります。物語からは主義主張を徹底的に排除して、客観的な事実の伝達に徹しています。また、受講者の想像の障害となる写真や動画の使用を極力省きました。これらによって、受講者は命や心について自分なりの考えを巡らせます。

2.原子爆弾の科学的解説(45分) *中高校は50分
 広島が原爆投下目標地に決定した経緯や、原爆を投下したエノラ・ゲイの軌跡、原爆の具体的な威力と被爆地の状況などを科学的に解説します。受講者は原爆に対して酷い・怖いという感情だけではなく、論理的・理性的に物事を捉えることを体験します。

 タイトルの「7000℃の少年」は、太陽を凌ぐ7000度もの高温を発生させた原子爆弾のニックネーム「リトルボーイ」と、灼熱の爆心地で奮闘する少年兵の双方を表しています。

 
   

 
  特別授業が目指すこと  
 

私共は、特別授業でヒロシマの被爆事実と原子爆弾の威力や開発歴史などを話します。受講者からは、ヒロシマの事実を知ることで多様な意見が生まれます。その意見は百人百様のものです。しかし、各自の意見に賛否はあっても、その意見や考えに正誤はありません。また、それら意見に他者が軽重を付けることはできません。
 例えば、特別授業によってヒロシマの惨状を知った受講者から、原子爆弾は絶対に保有してはならないという意見が生まれます。他方では、原子爆弾があるからこそ抑止力となって世界の平和が維持できるという意見も生まれます。第三者は、この双方の意見に対して賛否を表すことができても正誤の判定を下すことはできなません。しかし、受講者は知識なくして意見や判断はできません。だからこそ、事実の解説が重要です。

 私共の目的は「平和」ではありません。また、核兵器撲滅でも反戦でもありません。

 私共が目的とするところは、受講者にヒロシマの被爆事実を話すこと、および原子爆弾に関連する様々な事象を解説し、受講者に考えるための材料を提供することです。

 








ノンフィクション小説「ヒロシマの九日間」

 特別授業は、私共の代表・池田眞徳(以下「代表」という)が2006年に出版したノンフィクション小説「ヒロシマの九日間」をテーマとしています。この小説は代表の父・池田義三(以下「義三」という、1927-2009)の原爆体験を題材にしたものです。


 義三は、昭和19年(1944年)に17歳で陸軍船舶兵特別幹部候補生として入隊し、広島県の江田島に配属されていました。
 昭和20年8月6日早朝、軍需物資調達の命令を受けた義三は、8名の戦友たちと共に広島市内に入り、爆心から3キロ地点の宇品西二丁目で被爆しました。義三は、その後に発せられた命令で広島市内の消火作業と被爆した人々の救助活動を行ない、そして、翌8月7日には、人類として初めて爆心地に踏み入り、死体の捜索・収容そして焼却作業に九日間従事します。
 ノンフィクション小説「ヒロシマの九日間」は、少年兵士義三がヒロシマの過酷な惨状のなかで勇気を振り絞って活躍した物語です。

  (小説執筆のきっかけ   小説の内容



  「伝える・理解させる」から「興味をもたせる」へ   
 

義三は言いました。「原爆の体験は言葉や文章を尽くしても絶対に表せるものではない」と・・・・・。

 体験者が伝えることの不可能さを悟っているのに、非体験者が原爆の惨状を伝えることなど決して出来るものではありません。
 ゆえに私共には「ヒロシマを伝える」というような意識は毛頭ありません。また「ヒロシマや原爆を理解してもらう」というような気持ちも一切持っていません。「他人の話を聴くだけで理解できる」というようなマジックなど無いからです。

 では何が必要なのか?

 それは、受講者がヒロシマや原爆に興味を持つことです。興味を持てば自分自身で調べ勉強します。自身で勉強して初めて理解できることになります。これはヒロシマや原爆に限ったものではなく、国語や算数、社会や理科をはじめあらゆる勉学に共通することです。
 だからこそ、特別授業は受講者がヒロシマや原爆に興味を抱く内容にしなければなりません。前述した「ヒロシマ物語」や「原子爆弾の解説」はこの目的から生まれたものなのです。

 
   

 
風化はなぜ起こる? 
 

人々は「聞きたい話」には高いお金を支払います。聞きたい話は人から人に自然に伝わります。知らない人は早く聞きたいと思います。だから益々広がります。
 反対に聞きたくない話は「お金をもらっても聞くのは嫌だ」と言います。「聞きたくない話」であるがゆえに人々は聞くことを敬遠します。
 そこに風化が起こります。
 
 戦後70年を経過してヒロシマ・ナガサキが日々風化しつつあるのはなぜか?

  「な話は聴きたくない」  この言葉がすべてを表します。

 では逆に、ヒロシマ・ナガサキを人々が永遠に忘れ去らない方法は何か?
 それは、ヒロシマ・ナガサキを「知りたい・行きたい」にすることです。
 ヒロシマ・ナガサキを伝承する人がいなくなるから伝承者を育てる、という人材育成という次元で捉えてしまえば、ヒロシマ・ナガサキの問題解決を永遠に遠ざけてしまいます。

 「もう一度聞きたい」という話であれば風化は絶対に起こりません。









 


  特別授業のストーリーとは?   
 

原爆先生の特別授業は、17歳の少年兵士達が、被爆直後の悲惨極まる爆心地で勇気を振り絞り数々の試練を乗り越えて活躍する物語です。また、その話の中に様々な科学的事実を組み込んで解説しています。これにより、受講者が二度三度と聞きたくなる話となるよう取り組んでいます。

 また、私共は講師の話法も体系化しました。
 講師は、用意された脚本に沿って話します。酷い写真や動画を一切使用しません。受講者は頭の中に鮮明な状況を描き、原爆の臨場感を自身でつくり上げます。
 大半の受講者から「あのように淡々と話されているのに悲惨な情景が恐ろしいほど頭の中に描くことができた」というお言葉を頂戴しています。また、聞くに耐えない恐ろしい話が多くあるが、次に何が起こるのか? たえず興味が沸いてきて自然と話に引き込まれてしまった、というお言葉も数多く頂戴しています。
 

  






   

 
原爆先生
 

前述しましたように、原爆の威力や構造そして核分裂や核融合などの科学的な説明を特別授業のなかに積極的に取り入れています。それら科学的な事象の解説は、受講者が様々なことを判断する上で必要不可欠であるからです。
 私共は、それらの科学的な知識を専門研究所の研究員から正確かつ最新の知識を得ることにしています。話す内容に間違いがあってはなりません。
 これらのことから私共の名称は、原爆の被害や威力および関連事項を話す「原爆先生」と命名しました。

 







原爆先生の現状

 

特別授業の実績は年々増加し、前述のようにのべ約800校(7万人)で実施し、これらの学校から良好な評価を得るに至っています。平成28年からは中学校・高校で修学旅行前の特別授業を約30校で実施しました。
 過去の特別授業は一人の講師(代表)によって実施されてきたため、継続性において極めて不安定な状態であり、万一講師に緊急事態が生じた場合、即時活動を中止しなければならない状態でした。平成26年度からは二名の講師体制となりましたが、今後は地方公共団体や企業などとタイアップし、講師を日本全国に、さらには世界に養成する計画です。
 特別授業のニーズは広く全国から寄せられるものであり、特別授業を広める工夫が必要です。また、僻地や離島などの小学校にも対応できるようにしなければなりません。このため、講師を養成するだけでなく「講師に代わる仕組み」が求められています。
 

 
   

 
  よしぞうロード   
 

私共が特別授業で話す物語の主人公・池田義三は、昭和20年8月6日、軍の命令を受けて市内の消火作業と被爆者の救援のために江田島の幸ノ浦基地から広島市内に向かいました。そして義三は、ヒロシマの様々な地で戦友たちと共に奮闘しました。これら、義三たちが活躍した地名を表したマップが「よしぞうロード」です。
 修学旅行で広島を訪れた児童や生徒たちが、また特別授業を受講した保護者の皆さんが、さらには義三たちの活躍に感動した世界中の人々が地図を片手によしぞうロードを巡り、そして様々な地で想いにふける。私共はそんな姿を想像し、そんな日が一日も早く実現されることを心から願っています。

 
 
 
 
 
2017.03.20

特定非営利活動法人原爆先生
池田 眞徳


2011年8月5日初版
2012年7月12日改
2012年8月7日改
2012年8月13日改
2012年10月17日改
2013年2月21日改
2013年5月15日改
2013年6月18日改
2014年4月22日改
2014年7月15日改
2014年7月21日改
2014年7月22日改
2015年6月11日改
2015年7月25日改
2016年4月22日改
2017年3月20日改
 
 
     


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